大判例

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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)12163号 判決 1981年2月26日

原告

中林武夫

原告

中林武子

右両名訴訟代理人

井上惠文

外五名

被告

右代表者法務大臣

倉石忠雄

右訴訟代理人

青木康

右指定代理人

谷古宇弘次

外五名

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一亡和良(当時二四歳)は、陸上自衛隊第五特科連隊第一大隊第一中隊(帯広)所属の自衛官であつたが、昭和五〇年一二月六日午前七時二〇分ころ、北海道帯広市南町南七線番外地陸上自衛隊帯広駐屯地幹部隊舎浴場において、浴場当番として浴槽の排水作業に従事中、浴槽上に橋渡しした蓋板の上に乗つて排水栓を引き抜いた際本件浴槽内の湯(熱湯に近い状態)の中に落ち込み、背部手足等に熱傷(第二熱傷)を負い、同月九日、第二度熱傷による心不全のため死亡したことは当事者間に争いがない。

二国家賠償法二条に基づく責任について

1  被告が公の営造物である本件浴槽を設置、管理していることは、当事者間に争いがない。

2  まず、本件浴槽の構造及び通常の排水作業方法についてみると、本件浴場は南北に二分して北側(入口側)が洗い場南側が本件浴槽となつていること、本件浴槽は南側の窓のある壁面および東西の各壁面に接し、幅員一杯に設置されていること、右浴槽の広さは横2.035メートル縦1.82メートルで右浴槽には南東隈に排水栓があるが、右排水栓の中心は東側浴槽壁から三五センチメートル、南側浴槽壁から二五センチメートルの位置にあること、従つて排水栓の位置が本件浴槽中の洗い場と反対の窓側にあるため洗い場から右排水栓を引き抜くことはできず、排水するには浴槽上に橋渡された蓋板(幅一八センチメートル)を渡つて排水栓のところへ行き、上からそれを引き抜くという方法がとられていたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、本件浴槽の排水作業は、通常左足を本件浴場の窓側のコンクリートの上に、右足を蓋板の上にそれぞれ置いて、膝を伸ばし、上体を前へ屈ませ両手を足元まで持つてきて、排水栓中央部に取り付けてある長さ1.45メートルの針金(その他端は蓋板一枚に巻き付けてある)を引つ張り、排水栓を抜くことによつてなされること、このようにして排水栓を抜くためには、通常の水量の場合でも六ないし七キログラムの力を用することが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

3  また本件浴槽の水を熱する方法は浴槽に直接蒸気を噴出させてこれを行なう方式すなわち蒸気風呂方式がとられていることは当事者間に争いがなく、証人斎藤和郎の証言によれば右蒸気風呂方式は、ボイラーで蒸気を作り、これを浴場用のほか炊事、暖房用等の蒸気としても合わせて使用することができるという利点があるので、全国の自衛隊駐屯地で採用されている方式であるが、帯広駐屯地では、ボイラーから本件幹部隊舎および医務室へ蒸気パイプが直結し、かつ、幹部隊舎においては室内暖房用と本件浴槽用とは同一系統のパイプで送気されるシステムとなつていること、従つて医務室又は幹部隊舎に送気される場合には本件浴槽にも送気されることになること、蒸気は午前五時半ころから暖房用の蒸気が各隊舎に送られ、午後一〇時ころ送気が中止されるので、本件浴槽の蒸気栓が開放されていれば、午前五時半ころから再び蒸気により一たん冷却した本件浴槽の水が熱せられることになることが認められる。

4  次に、<証拠>によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  亡和良は、昭和四九年一一月二八日、山口で陸上自衛隊に入隊し、その後帯広で勤務していたが、同五〇年一〇月一日から本件幹部隊舎の勤務員として本件浴槽の排水作業に従事し、毎日通常八時三〇分ころ右作業を行つていたこと。

(二)  亡和良は、本件事故当日通常の作業時刻より早い午前七時二〇分ころ排水作業を行うため本件浴場に行つたところ、湯気が一面に立ちこめ、本件浴槽内の湯が満水状態で摂氏七〇ないし八〇度に熱せられて、ぼこぼこと地鳴りのような音をたてていたので狼狽し、スリッパをはいたまま蓋板一枚の上を渡つて排水栓の上に行き、左足を窓側のコンクリートの上に右足を蓋板の上にそれぞれ置き、排水栓に取り付けてある針金を両手で引つ張つたが、なかなか抜けなかつたので、更に力を加えると排水栓が一気に抜け、その反動で左足が滑り、浴槽に転落したこと、

(三)  現在までに、本件浴槽の排水作業中に転落事故が発生したとの報告はなされていないこと。

5  ところで、国家賠償法二条一項の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があつたかどうかは、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきものであるところ、前記当事者間に争いのない事実及び前記認定事実によれば、本件浴槽の排水作業は、その作業者が浴槽内に転落する危険性のかなり高い作業であるということを否定できないけれども、通常排水作業が行なわれるときには浴槽の湯は冷却しており、浴槽内への転落により作業員の死傷の結果をもたらすことはありえないことであり、また本件浴槽の水が排水作業時に熱湯に近い状態になつているということも前夜浴槽の蒸気栓を開放したまゝ放置されていたという場合以外には考えられないが、かかる場合も度々あるとは考えられない。そして、本件事故当時のように、排水作業を行うときに本件浴槽の水が満水で七〇ないし八〇度の熱湯に近い状態になつているという状況が生じたとしても、排水作業にあたる者は浴場当番を命じられた自衛隊員であつて、通常の危険認識能力と危険回避能力を有し、かつ、その作業方法を心得ており、前記のような転落の危険性についての認識を有していると考えられるから、右のような状況に直面した作業員においては、蒸気栓を閉めたうえ転落しても死傷の危険がない程度に湯を冷却するのを待つて排水作業にとりかかる等自ら死傷の結果を回避する措置に出るのが通常であると考えられ、前掲採用証拠によれば、本件事故当時の本件浴槽の排水作業において作業員が右のような措置に出ることを困難とするような事情はなかつたものと認められるから、本件浴槽の設置管理者である被告としても、本件浴槽の排水作業に従事する作業員が亡和良のように浴槽の水が熱湯に近い状態のまま、前記のような措置をとることなく、直ちに排水作業に取りかかるという危険な行動をとることを予測することは困難であつたというべきであり、したがつて、被告がかかる事態を予測してそのために生じる転落死亡の危険を回避するために万全の措置を講ずべき義務を負担しているものとは到底解しがたいのであり、被告が原告ら主張のような排水栓の位置、自動温度調節装置を設置していなかつたことをもつて、本件浴槽が本来備えるべき安全性を欠き、被告にその設置又は管理に瑕疵があつたものということはできない。したがつて、本件事故につき被告に国家賠償法二条一項に基づく責任があるとする原告の主張は理由がない。

三国家賠償法一条一項及び民法七一五条に基づく責任について

1  <証拠>によれば次の事実が認められる。

(一)  本件事故の前日(昭和五〇年一二月五日)、本件幹部隊舎には幹部学校の受験教育のために集まつた多数の自衛隊幹部(陸准尉以上佐官クラスまでの者)が宿泊していたこと。

(二)  右幹部の課業終了時間は当時冬時間であつたので、午後四時三〇分であつたこと。

(三)  陸上自衛隊服務規則二九条には、「自衛官は、特に許可され又は命ぜられた場合を除き、課業開始時刻に勤務を開始し、課業終了時間に勤務を終了するものとする。」との規則があること。

(四)  通常、本件幹部隊舎に宿泊する隊員は、課業終了後二時間内(冬時間午後六時三〇分まで)に入浴することになつていたが、これ以降に入浴することもできたこと。

(五)  本件事故前夜は、亡和良と同じ浴場当番であつた自衛隊員の向島洋が午後九時三〇分ごろ本件浴槽の蒸気栓を閉じたこと。

(六)  一方、本件幹部隊舎に宿泊していた隊員から、浴場当番に対し、深夜入浴したいから湯を排水しないよう申し出がなされていたこと。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  右認定事実及び本件事故の態様に照すと、本件事故前夜遅くなつてから氏名不詳の幹部隊員が本件浴場に入浴するにあたり、蒸気栓を開放し、そのまま放置したことが推認される。

しかし、右幹部隊員の過失の有無についてはしばらく置き、右幹部隊員の行為が国家賠償法一条一項にいう「職務を行うについて」あるいは民法七一五条一項にいう「事業の執行に付き」行われたものといえるかどうかについて判断するに、前記幹部隊員の入浴行為は、前記認定のとおり勤務時間終了後の行為であるし、また、その行為の性質に照しても、とうていその職務上の行為であるということができないから、前記幹部隊員の蒸気栓を開放したまま放置した行為をもつて、前記「職務を行うについて」とか「事業の執行に付き」なされた行為であるということは、できない。したがつて、右幹部隊員の行為につき被告が国家賠償法一条一項または民法七一五条一項による責任を負うべきであるとする原告の主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

3 次に、本件事故についての司令の過失の有無についてみるに、前記認定のとおり本件幹部隊舎に起居するものは幹部隊員であり、本件浴槽は、他の駐屯地に多くみられる蒸気風呂方式であるから、司令が本件浴場の蒸気栓の管理について隊員の判断に委ね、原告ら主張のような措置をしなかつたとしても、本件事故が本件浴場の管理をする者にとつて予見することのできないものであつたことは、前記二5において判示のとおりであるから、司令には本件事故発生について過失があるということができない。したがつて、本件事故についての司令の過失につき被告が国家賠償法一条一項または民法七一五条一項に基づき被告に責任があるとする原告の主張は理由がない。

四よつて、原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(黒田直行 青山邦夫 都築民枝)

別紙図面<省略>

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